護くんに女神の祝福を! SS
護の心に包まれて
by Sin

 微かに聞こえる鳥の声に、私は目を覚ました。
 ………頭……痛い……
 起きあがることも辛い……
 ふと、視線の隅に映ったカレンダーに目を向ける。
 其処に付けた印に、思わず溜息が溢れた。

『護と学園祭』
  
「………本当なら…今頃……」

 口に出してしまうと、なおさら辛くなって……
 その時、ふと護の心配げな顔が脳裏を過ぎった。
 
「……まだ…悩んでるのかしら……護…」

 護が私を心配してくれるのは嬉しい…
 でも、だからって……それが原因で今日の舞台が上手くいかない……なんて事になったら……
 きっと護……立ち直れないくらいに落ち込んでしまうわね……
 全部自分の責任だって……
 
「護……優しすぎるから……」

 思い出すあの笑顔。
 包み込まれるような優しさと温もり……

 絶対に……失いたくない……
 
「無理矢理にでも……元気…出させてやる…ん……だから……」

 起きあがろうとするけど、身体に力が入らない。
 
「早く…しないと……護が出かけてしまう前に……」

 ベッドの縁を掴み、壁や棚に縋り付いてなんとか立ち上がる。
 もの凄くふらふらするし、ちょっとでも気を抜いたら今にも倒れそう……
 でも……でも、今倒れるわけにはいかない……いかないの!
 
 いつもならちょっと歩けばすぐに手の届く場所が、あまりにも遠い。
 
 と、その時……
 
「失礼します。お嬢様、起きて………お嬢様!?」
 私の様子を見に来た菊川が、慌てて私の身体を支えてくれる。
「何をなさっているのです! 歩けるような状態ではないでしょう、お嬢様。さあ、ベッドにお戻りになって下さい」
「……ダメよ…今は……それよりも菊川。私を電話の所まで連れて行って」
「しかし……」
「命令よ……」
「………承知致しました…しっかり掴まっていて下さい」
「ええ……お願い……」

 今にも途切れかける意識。
 それを無理矢理に繋ぎ止めて、菊川の腕に支えられながら私はなんとか電話の所まで辿り着いた。
 
 すぐに菊川が椅子に腰掛けさせてくれる。
 
「ありがとう」
 私がそう言うと、菊川は驚いた表情で私を見つめた。
 ………判ってるわよ……私らしくないって……
 
 もう、長くは耐えられない。急がないと……
 受話器を取って、護の家の番号をダイヤルする。
 目が霞んで番号を押し間違えそうになるけど、なんとかかけることが出来た。
 
 数回のコール。
 そして……
 
『はい、吉村です』

 電話が繋がると同時に逸美さんの声が聞こえてきた。
 
「……逸美…さん? 鷹栖ですけど……護くんは……?」
『えっ、鷹栖さん!? な、なんだか凄く辛そうですけど……大丈夫です?』
「ええ……それより……護は……」
『あっ、は、はい。ちょっと待ってて下さいね! 護! 護――っ!!』

 逸美さんの声が遠く離れていくのを聞いている内に、一瞬、目の前が暗くなった。
 何度か首を振ってそれを振り払う。
 
 その時、慌てた様子の護の声が聞こえてきた。
 
『代わりました! 護です』
 
 良かった……これで伝えられる……
 
「……あなたの、ことだから…まだ私に遠慮して、つまらないことで悩んでるんじゃないかと思って。とにかく、今日は……あなたたちだけで、きちんと成功させなさい。今日がズタボロで評判が凄く悪かったら、明日、私が出る時に困るでしょう」

 護が息を呑んだのが判る。
 やっぱりずっと私のことを思ってくれていたんだ……
 そう思うと、胸の奥から暖かいものが溢れてきて…いつしか頬に涙が零れていた。
 
「私は私にできることを……する。護は護にできることを、しなさい。心配しないで。同情なんてしてたら怒るわよ。私は……」

 ちょっと言い淀む。
 でも…少し恥ずかしいけど……
 
 勢いをつける為に軽く咳払いをして再び口を開いた。
 
「護を信じてるわ。私に……その、最高の学園祭をプレゼントしてくれるんでしょう? だから、私は平気。きっと、なんとかなる。方法はある。この、うざったい熱を下げる方法は……ある、わ。たぶん。ふたりで考えれば、いまは無理でも、明日までにはきっと思いつく。だから、護、いまは余計なことを考えずに……」

 今にも途切れてしまいそうな意識を無理矢理に繋ぎ止める。
 伝えたかった最後の一言…それを伝えるまでは……
 
「……がんばりなさい」
『はい……はいっ! 今日、必ず成功させます!! だから……だから絢子さん! 絶対に明日の舞台は、一緒にやりましょう! 最高の学園祭を、絶対に、一緒に!!』
「ええ……必ず……ね」

 受話器を置くと同時に緊張の糸が切れてしまったのか、一気に全身の力が抜けてしまった……

「お嬢様!?」

 慌てたように菊川が私の身体を支えてくれてる。
 
「……少し…眠るわ……後で……護のこと迎えに行って……きっと来てくれるつもりだろうから……」
「承知致しました。お嬢様、ごゆっくりお休み下さい」
「ええ…お願い……ね……」

 そのまま、私の意識はゆっくりと遠ざかっていった……
 
 
 あれから、どれくらい時間が過ぎたんだろう…
 朦朧とする意識の中、どこかで護の声が聞こえるような気がする……
 
「……僕たちがその混乱してしまっているビアトリスをコントロールしてやれば――それが無理でも、落ち着かせるって言うか、こんな言い方したらビアトリス自身に意志があるみたいで変なんですけど、教えてやればいいんじゃないですか? 混乱してバランスを崩しているのは間違いだから、いつも通りに戻れって」

 そう…混乱しているビアトリスを落ち着かせることが出来れば……
 もしかしたら……
 
 ……ううん、きっとそうすれば……
 
 護の声を聞きながらそう思っていると、徐々に意識がはっきりしてきた。
 
「正直言って、リスクの方が大きいな。俺としては、あまり実行したくはない」

 聞こえてきた生徒会長の言葉に、さっきまでの護の声が夢じゃなかったことに気付く。
 
「……私も、それ、考えていたわ。試すならそれしかないって思ってた」
 そう言うと、生徒会長と護が一斉に振り返った。
「絢子さん……」
「絢子……、起きていたのか」
「ん……いま、起きた」

 まるで身体が自分のものじゃないような変な感じがする……
 全身が重たくて、自分で動かしている気がしない……
 
 まるで力の入らない腕で無理矢理に支えながら、ゆっくりと身体を起こす。
 慌てて護が駆け寄ってくるけど、とりあえず今は大丈夫だから…と手で制した。
 
 心配気な護に、なんとなく苦笑する。
 
「三人、同じ所に考えが行き着いたわけね」
「絢子さん、熱は? そうだ、計ってみないと」

 あまりにも慌てている護の様子に、思わず溜息。
 仕方なく渡された体温計を胸元から差し入れる。
 
 しばらくして体温計が電子音を立てるのをきいてゆっくりと取り出してみると…
 三十八度五分だった。
 
「解熱剤が効いてくれてるみたいね。頭痛も、朝よりはだいぶマシよ」
「絢子、君はまさか――」
 生徒会長が私の考えを知って顔色を変える。
 でも……当然でしょう?
 護との学園祭…それを実現させる唯一の方法があるのなら……
 私が躊躇うはずがない。
 
「危険なのは君もわかっているだろう」
 そんなことは百も承知。私を誰だと思っているの?
 それでも。
 迷う事なんて、何もない。
 
「さあ、護。この、邪魔くさい熱を退治してやりましょう」
「え、で、でも、絢子さん」
 戸惑う護。
 生徒会長の言葉で、不安になってしまったみたいね。
 
 その時、生徒会長が珍しく必至な顔で私の肩に手を置いた。
「考え直せ、絢子。学園祭は残念だが、あと数日安静にしていれば君の体調は回復する。無駄に危険を冒す必要はどこにもないだろう」
「お黙りなさい」
 肩に置かれた生徒会長の腕を振り払い、襲ってきた頭痛にこめかみに手をやりながら言い放つ。

「私を嘗めないで、見くびらないで。失敗するのが怖いから大人しく寝てろなんて、一年前に≪プロイセンの魔王≫との決闘を煽った貴方の台詞じゃないでしょう」
「あれと、こないだの君と護くんが怪我をした事件で懲りたんだ。俺は君が――」
 何を言おうとしたのかは判ってる。
 でも、それでも私は……意志を曲げるつもりなどない。
 それが判ったのか、生徒会長は口を噤むと大きく溜息をついて首を大きく振る。
 そのまま引き下がって護の肩を優しく叩いた。
 
「俺がなにを言ったところで、無駄みたいだ。……絢子を頼む」
「生徒会長……」
「護、私はこんな半端な――」
 そこまで言った瞬間、喉に酷く嫌な感覚がして何度も咳き込む。

「だ、大丈夫ですか……!?」
 慌てて護が私の肩を抱いて聞いてくる。
「平気……こんな半端な形で学園祭を終わらせるなんて、ごめんだわ」
「絢子さん……それは、僕だって同じです。でも」
「だから、やるわよ。あなたが考えた通り、あなたの予想は正しいわ。私もできる限り手伝うから、あなたが私の身体の中にあるビアトリスに教えてやって。それできっとなんとかなる。ふたりで……」

 抱きしめてくれている護の手を握る。
 きっと私の手が熱くなってる所為だろうけど……ちょっとひんやりしていて……気持ちがいい。
 私の想いを受け止めてくれたのか、護も握り返してくれる。

「ふたりで、演劇部のみんなと一緒に舞台に立ちましょう。大丈夫、どうすればいいかは私が教える。あなたならできる。私を信じて。……護が言ったんでしょう? 絶対、あきらめないって」

 絶対の信頼。
 護の言葉だから。
 他の誰でもない。私がただ一人…誰よりも愛している護の言葉だから……信じられる。
 絶望なんてしない。
 諦めることなんてしない。
 だから……護……私を信じて……
 
 その想いを眼差しに込めて、護を見つめた。
 
 そして……
 
「――はい。あきらめたく、ありません」

 その言葉を……待っていた……
 もう、迷う事なんて……何もない。
 
 私の手に、護の右手だけじゃなく、両手が重ねられる。
 
「演劇部のみんなと、舞台に立ちましょう。絢子さんもいっしょに!」

 その言葉に、微笑む。
 部屋の隅で生徒会長が両手を上げるのが見えた。

「言っても無駄みたいだから、やめろとはもう言わないよ。でも、ひとつ提案はしておこう。護くんよりは俺の方が、少なくともいまはビアトリス制御の腕が上だ。護くんの代わりに俺がやっても構わないが?」
 心配気に言ってくれる生徒会長の言葉。
 でもね……

「護はあなたより才能があるわ」
 自信を持って言い切る。
 護は私の言葉に狼狽えてるみたいだけど。
「それに…生徒会長。確かに、いまからやろうとしていることは難しいし、多少の危険もあるかもしれないわ。あなたとでも、できるかわからない。でも、護とならきっと成功する。なぜだかわからないけど、その自信があるのよ」
「……そこまで言われたら、護くんに任せるしかないじゃないか」

 生徒会長は肩をすくめて微笑し、護に「落ち着いて、焦らずにね」と声をかけてその場に腰を下ろした。
 護もうなずいて私に向き直る。
 
「護、心の準備はできた?」
「はい」
「ビアトリス制御に一番大切なのは?」
「集中力、です」
「これから、私の言う通りにしなさい。目を閉じて、意識を集中して」
「はい」
 
 護が私の言葉に従って目を閉じる。
 
「少しくらいミスをしたって、そのフォローくらいならいまの私でもできる。私を信頼して、余計な考えは頭から消しなさい。私の身体の中で混乱しているビアトリスに、あなたの意志で話しかけて」

 護が集中を始めると同時に、身体が震え始めた。
 薬のおかげでいくらか楽になっていたけど、限界が近いらしい。
 幾度となく咳き込む。
 いけない。護の集中を乱してしまっては……
 
 思わず心配するけど、どうやら護はなんとか集中を続けてくれているみたい。良かった……
 
「情けないけど、頭が痛くて、いまの私には大したことができない。だから、あなたがやるのよ。あなたならできる。ビアトリスを感じて。あなたの意識とビアトリスを重ね合わせる感覚を思い出して」

 護の集中が深まる。
 と、その時……
 私の身体の奥深くに、何かが触れたような感じがした。
 
 か細く、今にも消えてしまいそうな程小さな感触だったけど、それは間違いなく……
 
「ビアトリスを感じ、意志で通じ合って、それから強くイメージして願うのよ。ビアトリスはあなたの思い描くことを感じ取れば、それを叶えようとしてくれる。ビアトリスは、人が自分の手で奇跡を呼ぶ唯一の力。現代によみがえった魔法。心から望めば、叶えられないことなんてないのよ」

 その瞬間、私の中に護の存在が大きくなった。
 わかる。
 今、護の意志が、私の中のビアトリスに触れているってことが。
 
 でも……これではダメ。まだ弱い。
 
 荒れ狂うビアトリスの中、まるで嵐に飲まれる寸前の舟のように護の意識が段々薄れていくのを感じて……
 
「――護!」

 途切れそうになる意識を自分の内側の世界だけへと向けて護に呼びかける。
 今、ここで私がどうなってしまうとしても……護を信じる。
 出せる全ての力を振り絞って、護へとビアトリスの意識を向けさせた。
 
「しっかりしなさい! あなたは、誰よりもビアトリスの奇跡を信じているんでしょう。誰よりも、ビアトリスの奇跡を知っているんでしょう!」

 その時……
 
 意識だけになった私の前に、護の意識が届いた。
 そっと手を重ね合わせ、指を絡め合う。
 
 何も隠さない丸裸の心で護と触れ合うと、護の想いがなだれ込んできた。
 
 絢子さんが好きだ…どうしてかなんてわからない。でも、好きで好きでどうしようもないくらいに好きで仕方がない。絢子さんに触れて、その温もりをずっと感じていたい……絶対に……絶対に一緒に学園祭を成功させるんだ!
 
 激しい程の護の想いに、知らず知らず、涙が溢れてくる。
 同時に私が全く同じ思いを抱いていることも、護へと伝わっているのを感じた。
 
 本当に何一つ隠さない想い……
 恥ずかしくて……照れくさいはずなのに……それ以上に嬉しくて……幸せ……
 
 護がビアトリスの意識に触れる。
 衝撃に苦痛に歪む護の顔。
 その瞬間、私は護を抱きしめていた。
 
 腕ではなく、心で。
 何もかもさらけ出した私の全てで護を抱きしめた。
 
 温もりが、私達をひとつにする……
 
 溶け合うような安らぎの中、護の願いが、強く……強くビアトリスへと届けられる。
 
 世界が眩く輝き、ビアトリス達が微笑んで舞い上がった。
 
 そして………
 
 
 ゆっくりと目を開けると、すでに辺りは真っ暗になっていた。
 あれほど苦しかったのが嘘のように、今は何ともない。
 
「………まさか、ここまで上手くいくなんて……ね」
 思わず苦笑する。
 正直、本当に自信があった訳じゃない。
 せいぜい、明日舞台に立つことさえできれば……って思っていたのに……
 
 全ては護のおかげ。
 護の想いが、私を救ってくれた……
 
 身を起こしてそっと身体を抱きしめる。
 まだ、あの瞬間の温もりを感じられた。
 護に、全てをさらけ出して抱きしめあったあの感触……
 現実世界のものではないとしても、あの暖かさは……嘘じゃない……
 
 その時……
「絢子さん、どんな感じですか?」
 不意にかけられた声に、びっくりして振り返ると、そこには氷枕を持った護の姿があった。
 
「護……。まだ残っていてくれたの?」
「はい」
 そう答えながら護は蛍光灯をつけてベッドのそばへと来ると、私をじっと見つめてから安心したように微笑んだ。

「あんまり遅くまでいるのも失礼かなって、思ったんですけど……生徒会長と、あと汐音さんもさっきまでいたんですよ。ふたりとも明日が早いから帰らなきゃいけなかったんですけど、それでもぎりぎりまで」
「――護のお母さまとか、逸美さんとか、心配してない?」
「大丈夫です。遅くなるって連絡しておきましたから。それよりふたりとも、絢子さんのことを心配してました。護はぶっ倒れてもいいからちゃんと鷹栖さんの看病をしなさい! って言われて」
 
 冗談っぽく言う護に、私も「そう」と答えて笑った。
 
 本当に……私……護を好きになって良かった……
 心に溢れてくる暖かな想い……それは全て護が私にくれたもの……
 
 だから……自然と口にすることができた……
 
「……ありがとう」

 一瞬、不思議そうな顔をした護だったけど、すぐに微笑んで首を振った。
「ぜんぜん、なんでもないですよ、こんなの!」

 じっと見つめ合う……
 なんだか……凄く照れくさくなって……でも、目を逸らせなくて………

「ああ、そうだ」
 唐突に護が声を上げて、テーブルの上に投げたままの体温計を取ると私に渡してくる。
 受け取った私も、なんとなく顔が熱くなってしまって……
 きっと赤くなってる…そう思う度、余計に照れくささは増してしまう。
「熱、計ってみてください」
 促されるままに計ってみると、熱は三十七度ほどまで下がって落ち着いていた。
 これなら明日舞台に立つことは十分にできるはず。
 安心して溜息をついた私を護が支えながらゆっくりと寝かせてくれる。
 
 ベッドの傍の椅子に腰掛けた護は、本当に嬉しそうに微笑んで…
「明日、楽しみですね」
 その笑顔が眩しくて恥ずかしくて……シーツにくるまって顔だけちょっと覗かせて答えた。
「……そうね」

 目を閉じて護に背を向けると、小声で「護」と呼びかける。
 
「もう、私はほんとに平気。驚いたわ。まさか、ここまで完璧に成功するなんて思わなかった。あなたは、ほんとに……」
 あんまりにも恥ずかしすぎて、最後までちゃんと言葉にできない……
「え?」
 聞き返されても困る……
「なんでもない。――ひとつ、わがままを言ってもいい?」
「もちろんです」
 すぐに答えてくれる護。
 恥ずかしくて少しだけ躊躇ったけど…
「もう少しでいいから、……私が眠るまで、そこにいてくれる?」
 精一杯の勇気を振り絞るようにして呟いた私の言葉に、護は微笑んで私の手を握ってくれた。
 
 その温もりを感じながら、私は思う……
 
 明日はきっと……これまでの人生で一番幸せな日になるわ……
 
 ゆっくりと眠りへと落ちていく意識の中で、私は最高の幸せを感じていた…
  

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