斬魔大聖デモンベイン SS 『戸惑い』
by Sin



 大十字さんとアル・アジフの結婚式……
 あの日の事を思い出す度に、私の胸は何故かチクチクと痛んでいた……
 
「私……どうしてしまったのかしら……」
 思わず溜息が溢れる。
 もう今日はこれで何回目だろう……
 仕事も手に付かない…
 
「お嬢様?」
 ふと、呼ばれて顔を上げると、ウィンフィールドが心配気に見つめていた。
 
「大丈夫ですか? どこか具合でもお悪いのでは……」
「……大丈夫……私なら大丈夫ですわ……」
「しかし…」
「少し……一人にして……」
「……承知…いたしました……」

 躊躇いがちな返事……ウィンフィールドにしては珍しい……
 もちろん、それが私を心配してのものだって事は判る……でも……
 
 いくら考えても溢れてくるのは溜息ばかり……
 
 そして脳裏に過ぎる、純白のウェディングドレスに身を包んだアル・アジフの姿……
 
「私……あの大十字さんの願いを叶えてしまった事を……今になって……後悔……している……?」

 嫉妬……なのだろうか……私のこの気持ちは……
 確かに……彼はとても素敵な人だと思う…
 初めは…どうしてお爺様がこんな人を頼るように言ったのか…まるで判らなかった……
 いい加減で、穀潰しで、生活力皆無なあんな人…頼れる訳がないって……思っていた……
 でも……
 
 彼の戦う姿……そして生き様に……
 私は……少しずつ惹かれていたのかも知れない……
 
 気付いた時には……もう……遅かったのだけれど……
 
「………九郎さん……」

 自分でも全く意識しない中で、私は呟く。
 そして……
 
 ふと、私は手を濡らすものに気が付いた。
 
「わ、私……泣いて………」

 思わず頬に触れると、そこにも溢れた涙が幾つもの線を描いていた。

「未練がましいですわ……ね…」
 止めどなく溢れる涙が、拭っても拭っても次々に滴り落ちていく。
 情けない……
 私……こんなにも情けない女だったの……?
 
 込み上げる想いが胸を刺す…
「う……ぅぅ………九郎……さん……」

 脳裏を過ぎるのは、幸せそうな九郎さんとアル・アジフの顔……
 仲の良い二人の様子をいつも怒っていたのは……結局、ただのやきもちだったなんて……
 振り払おうとすればする程、これまでに見てきた二人の仲の良い姿を思い出すばかり…
 
「馬鹿……ですわ……今頃になって……気付くなんて……」

 もっと早く気付いていれば…
 せめて、アル・アジフと出逢う前……
 
 いいえ……駄目ね……
 九郎さんとアル・アジフは、こことは違う世界で出逢い、命を懸けて共に戦ってきたのだから…
 その信頼と想いは、そう簡単に壊せるものじゃないもの…
 
 私がこの想いにもっと早く気付いていても…きっと九郎さんは彼女を…アル・アジフを選んだ。
 それは、想像でも、予感でもない。
 紛れもない、事実。
 
 九郎さんに毎日のように抱かれ…彼の娘を産み…そして永遠に彼に寄り添う存在……

 魔術師、大十字九郎を主とする魔導書、死霊秘法の精霊『アル・アジフ』
 人にあらざる彼女に子供が出来る筈など、無かった。
 だから……どこか安心していたのかも知れない……
 自分で、自分の気持ちに気付きながら、誤魔化してしまっていたのかも知れない……
 そしてその結果が……これ……
 
 羨ましかった…
 妬ましかった…
 口惜しかった…

 恋を知った時には、もう失恋する事が決まっているなんて、なんて滑稽……
 間抜けにも程がありますわ……
 
 あの日…九郎さんの結婚式の日、アル・アジフに言った言葉が頭を過ぎる……
 
『ただ1つ、はっきりしている事は……私がどう思ったとしても、大十字さんの心は…アル・アジフ、貴方だけのものだという事…』

 そう…自分でわかっていたじゃない……
 私では…九郎さんの求める女には……なれない…
 九郎さんに愛される女は…アル・アジフ……だけなのだから……
 
 …私に出来る事は…精々彼を私専属の探偵として雇う事くらいしかありませんわね……

「あっ…でも…そうすれば…依頼を理由に毎日でも会う事ができる…?」
 頭の中で、何度もその考えがリフレインする。
 もちろんその時にはアル・アジフも……そしてリル・アジフも一緒なのでしょうけど……
 それでも九郎さんに会う理由にはなる……
 何度もそうやって繰り返し合っていればいつかは彼の気持ちも……
 
 そんな事を考えながら、ふと目を向けた先にある鏡。
 そこに映っていたのはあまりに情けない私自身の姿……
 幸せな生活を送っている九郎さんの家庭を踏みにじってまでも手に入れたいと願う女の妄執が浮き出ているようで、私は思わずその場に座り込んでしまった……
 
 どれだけの時間が過ぎたのだろう……
 
 気が付くと、私はベッドに座り込んでいた。
 日も沈んでしまったのか辺りは薄暗く、明かりのない部屋の中、私はただ呆然と窓の外を見つめる。
 
 アーカムシティー……
 
 お爺様が一代で築き上げた覇道財閥と共に栄えてきたこの街……
 
 その街の明かり1つ1つが愛し合う者達の輝きに見えて、今の私にはちょっと辛い……
 
「恋……なんて、知らなければ良かった……」
「それは違います、お嬢様」
 突然の声。
 驚いて振り返った先にいたのは、稲田だった。
 
「稲田……いつからそこに……」
「1時間ほど前から、お側に控えておりました。お嬢様はお気づきではなかったようですが……」
「全く気付きませんでしたわ……あっ、それよりも……違うって……なにが違うと言うの? 私は……こんな辛い気持ちになるのなら……恋なんて知らない方が良かったですわ……」
「いいえ。たとえ叶わぬ恋であったとしても、恋をして、人は初めて大人になるのです」
「私が子供だと言いたいのですか、稲田?」
 なんとなく腹立たしくなって、言葉がきつくなってしまう。
 
「……失礼ながら、その通りです」
「稲田! 私を侮辱するつもり!?」
「いいえ。そんなつもりは毛頭ありません」
「だったら……」
「事実を述べただけです」
「―――っ!?」
「お嬢様は、恋というものを甘く楽しいものと考えておられるようですが、現実はそんな生易しいものではありません。相手の事を思えば思うほど、より多くの痛みを背負っていくのですから」

 稲田が何を言いたいのか、いまいちよくわからない。
 でも……
 
「愛情の裏返しは憎悪。相手を愛せば愛するほど裏切られた時の憎しみは大きく、深いものになります。それどころか愛する者を傷つけられた時の怒り……それはもはや誰にも止める事ができないほどのものとなるでしょう」

 その言葉に私は頷かざるを得なかった。
 かつて、アル・アジフが涙を流して哀しんだ時の、彼の怒り様はただ事ではなかったから……
 
「それは、解る気がしますわ。でも……」
 俯く私の横に稲田がそっと腰掛けてくる。
 普段ならメイドが私のベッドに腰掛けるなんて許さないのだけれど……今はなんとなく側にいて欲しい……
 
「お嬢様は、大十字様をお好きになられた事を、間違った事だと思われますか?」
「そ、それは……」
「確かに相手は妻子ある身です。その生活を壊して奪い取ろうとする事は誉められた事ではないでしょう。でも、好きになると言う事、それ自体は悪い事ではないのではありませんか? 振られる事、泣かねばならない事を覚悟した上で、それでも相手を思う事ができるなら、それはそれで、良いのでは?」
「……稲田、ひとつ……聞いても良い?」
「私に答えられる事であれば、何なりと」
 微笑んで頷いてくれる稲田に、私は目を向けると躊躇いながらも口を開いた。
 
「貴方なら……どうするの? 妻子ある人を好きになってしまい、その人とこれからも今まで通りに付き合っていかなければいけないとしたら……私にはもう…どうすればいいのか……」
 呟くように言うと、そっと稲田がハンカチを頬に当ててくれる。
 また気付かないうちに泣いていたみたいね……
 
「……そうですね…お嬢様、少し昔話をさせて頂いてもよろしいですか?」
「えっ? え、ええ」
 何を突然言い出すのかしら……?
 戸惑いながらも、私は稲田の話に耳を傾けた。
 
「……昔、あるところに貧しい家に生まれた一人の娘がおりました。無邪気で、世間の事など何も知らなかったその娘は、ある日一人の男性を好きになってしまいました」

 淡々と語るその横顔……
 私は何故か、この話が稲田自身の事なのではないかと思い始めていました…
 
「しかし、男性はすでに妻も子もある身でした。そうとは知りながらも娘は男性への思いを断つ事ができず、男性の元へと足繁く通っていたのです。そんなある日の事……ついに耐えきれなくなった娘は男性に告白しました……」
「そ、それで? その娘はどうなったのです?」
「……男性は、初めこそ驚いていましたが、やがて申し訳なさそうな顔で娘に好きになってくれた事への礼を言うと、最愛の妻を裏切る事はできないから…と言って娘の告白を断りました」
「そう……でしょうね……」
「わかっていた事とは言え、やはり娘にとってそれは酷くショックな事でした。何日も泣き暮らし、思い詰め、男性の事を奥さんから奪い取る事や自ら命を絶つ事まで考えてしまって……でも……」
「でも?」

「自分で精一杯考えて、振り絞れるだけの勇気を出して告白した事で……娘の心は傷ついたものの、大きく成長する事ができたのです」
「成長……?」
 戸惑う私を見つめ返して、稲田はそっと頷く……
「娘にとって、それまでの世界は自分の周りだけでしかなかった……ですが、男性を好きになり、その周りへと目を向けた事で娘の世界はその分またひとつ大きく広がったのです」
「世界が……広がる……」
「人を好きになると言う事は、相手の世界の中に飛び込んでいくという事……それが成就しようとしまいと、恋をする事で人はその度に大きく成長していくのです。その時にどのように行動したかによって、良くも悪くも……」
 そう言うと、稲田は音もなくそっと立ち上がった。
 
「稲田?」
「私の昔話はこれでお終いです。お嬢様、自らの心を誤魔化すことの無いように……それでは私はこれで」
「あ、稲田……」
「はい?」
「………ありがとう…私、なんとなく解ったような気がしますわ……」
「頑張って下さいね、お嬢様」

 微笑んで部屋を出て行く稲田を見送って、私はひとつの決意を固めた。
 それは……
 
 
「大十字さん、アル・アジフ。私、貴方達に言っておきたい事がありますの」

 数日後、仕事の依頼も兼ねて呼び出した二人に私は勇気を持って切り出す。
 
「ん、なんだい、姫さん?」
「わざわざもったいぶった言い方をせず、早く言え、小娘」
「では……私、大十字さんの事が好きになってしまいました」

 一度深呼吸をして言ったその瞬間、九郎さんは思いきり飲んでいた紅茶を吹き出し、アル・アジフは持っていたカップを落っことしてしまう。
 
「な、な、ななっ!? 何をっ!?」
「こっ、小娘ッ!! 血迷ったか!?」
「失礼な……私は正気ですわ。あの結婚式の日以来ずっと考えていましたの……胸に疼くこの想い…それが大十字さん……いえ、九郎さん。貴方をお慕いする気持ちの表れだと気付いたのはつい最近の事ですけど……」
「九郎には妾という妻がすでに居るのだ!! それに娘まで居るのだぞ!! 汝の入り込む隙間などどこにも……」
「ええ、わかっています。九郎さんがアル・アジフ、貴方しか見ていない事は」
「ならば、何故!!」
「……良い答を貰えるなどとは初めから思っていません。ただ、伝えたかった。私のこの気持ちを……」
「姫さん…」
「汝…」
「九郎さん、答えて頂けますか? 私が貴方をお慕いしている事……ご迷惑…でしょうか……?」
 唇が震える。
 稲田に教えて貰ったように、精一杯の勇気を振り絞っての告白……
 どんな結果になったとしても…私、絶対に後悔しませんわ……

「………正直、突然の事で混乱してる……」
「はい……」
 しばらくの沈黙が痛い…
 でも、じっと堪えて九郎さんの言葉を待ち続けた。
 
「姫さんの気持ちは、嬉しいよ。俺だって姫さんの事は嫌いじゃない…迷惑なんて思わないよ…だけど……」
「だけど……?」
「俺は、やっぱりアルが一番大切なんだ。何が違うって言われても困るし、どうすれば姫さんを……って聞かれても答えようがない……俺にとってアルは……特別なんだ」
 九郎さんの言葉に、胸が痛む……
 横でそう言われて微笑んでいるアルの姿にも……
 
「特別……?」
「なんて言えばいいのかよくわからない……けど、アルは…もう俺自身なんだ」
「九郎さん……自身?」
「……離れる事も…無くす事もできない。アルが欠けた時点で、もう俺は俺じゃなくなっちまう……アルが居て初めて俺って言う存在があるんだ……だから、姫さんの気持ちは嬉しいけど、俺は……」

 少し辛そうな九郎さんの俯いた顔に、また胸が痛む……
 
「………わかりました…それが、九郎さんのお心なんですわね」
「ごめんな」
「いいえ。誠意を持って答えて頂けたのですもの……私は……嬉しいですわ……選んで頂けなかったのは…正直、泣きたいくらい辛いですけど……アル・アジフ」
「な、なんだ?」
「やっぱり、私では貴方に勝てないようですわね」
「と、当然だ! 妾と九郎の結びつきを甘く見るでない!! 九郎は……妾にとって命よりも大切な存在なのだからな!!」
「……九郎さん」
「は、はい?」
「………私がこれからなにか便宜を図る時は、思いっきり下心があるって思っていて下さいね」
「なっ……」
「期待してますから」
「きっ、期待などするなっ!! 九郎は妾だけのッ……」

 真っ赤になって狼狽えてる九郎さんと、慌ててるアル・アジフの様子が見ていてほんとにおかしい……
 
「私、そう簡単には諦めませんわよ? 覚悟していて下さいましね、九郎さん、アル・アジフ」

 そう言って私はあの日以来久しぶりに笑った……




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